こんにちは。瀨田浩之 です。
今日は テニスのことを 二回目に 語ろうと思います。
先週の日曜日11月11日に 東山テニスコートで名古屋市医師会テニス大会が, 今年も行われました。
快晴の中行われました。
今回は, はや4回目の出場となりました。昨昨年と3年前は初戦敗退でしたが、昨年は準優勝で今年は優勝を目指していました。
しかし、また、決勝で負けてしまいました。
4−3でリードしていながらの敗退なので自分の弱さを実感しました。テニスをされている方はわかるとおもいますが、一ポイントのミスのながれで試合の流れが変わってしまいました。
正直、悔しいですが 次回頑張りたいと思います。
また更に モチベーションがあがりました。
久しぶりに 昨年以来 大学生時代の熱い血がたぎりました。
ところで、名古屋市医師会のテニス大会は硬式テニスです。
自分は、小学6年、中学、高校、大学と 12年間 ソフトテニスをしていました。
高校3年と大学6年も夏まで大会にでて、真っ黒に日焼けをしていました。
高校もあと1歩で何度もインターハイにいけず、高校3年時に個人戦県大会ベスト16がいちばんいい成績でした。
高校3年時に初快挙の団体も高校初の県初準優勝でしたが、優勝しかインターハイにはいけないので、とても悔しい思いをしたのを思い出します。
個人はベスト8からインターハイでした。
大学時代の テニス、サーフィンのおかげでたくさんの薄いシミがあったのですが、当院のスターラックスでいまは消えています。
大学生時代は 4年がテニス最盛期で個人戦、団体戦ともに1週間の大会の16試合をすべて勝って優勝したことは、わすれていました。
昨年ブログに記載させていただきました。その後、大学時代の軟式テニス同窓会がその後にあって、修正がはいったので記載させていただきます。
なんと、当時 実は 17戦全勝を沖縄でしたようです。また、その際に個人戦2試合と団体戦1試合はノーポイントゲームで勝利したようです。
なんかおぼろげに覚えていましたが、ビデオも存在していたようで貴重な映像資料のようです。後輩たちが自分とその先輩たちのビデオをみて日々鍛錬しているようです。
いまではみちがえるような部活に成長しているようです。自分が大学時代には、団体戦のメンバー選考も苦労していたのが嘘のようです。
自分としてはその話を聞いたとき自然と泣けてきました。
自分としては当時 私生活はテニス最盛期をきたしていましたが、その直後 は肉親の相次ぐ死に直面することになったからです。
6人家族であった自分の家族の弟の死亡と祖母の死亡、相次ぎ母の死亡、父の死亡と続いてしまいました。 本当にあっというまの出来事でした。
幸い 家族 や 親族 にささえられて今日にいたっていますが、
諸行無常を実感しています。 今では、妻とこども4人の 6人家族で賑やかな家庭になっています。
はなしは変わりますが、 総じて
テニス人生を思い出して
優勝できた時と 優勝できなかった時の差は、メンタルがかなりのウエイトをしめていることを実感しています。
今回、うつべし! うつべし! のテニスができなかったのは残念ですが、 次回のテニスに期待して日々精進したいと思います。
あと、一歩でインターハイにいけなかった自分と県大会で準優勝しても 所詮県大会の準優勝です。
医学部の九州山口医科学生大会で17連勝しても、医学部の大会での優勝です。
先輩でアジア大会にでた方には到底足元にも及ばないです。
テニスに限らず、結果がでた場合でも、その結果に甘んじることなく、常に向上心をもって毎日生きていきたいと思っています。
自分の実力をおもって日々仕事に精進していきたいとおもっています。
テニス、サーフィン 等 で培った 太陽に焼けるパワーで
誰にも負けるつもりはない 気概 で これからも 頑張っていく所存ですので応援よろしくお願いします。
セタクリニック 瀨田浩之